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【平将門の首塚】本当にあった怖い話・祟りは実在する

平将門の首塚は怖い話や都市伝説に頻繁に登場する、とても怖い人物ですよね。
平将門については調べれば調べるほど、本当にあった恐怖体験なんだと信じざるおえないことが多いです。
そもそも平将門ってどんな人物なの?
平将門は平安時代中期に活躍した武将です。大きな出来事は 「平将門の乱」を起こしたというこでしょうか。
最後は下総の猿島(茨城県)に独立国を立ち上げようとして失敗し、討死しました。討ち取った首が、首だけでも襲ってきたという逸話もあるほどなので、とんでもない猛将だったのでしょう。

平将門の首は、崇徳院、菅原道真と並び日本三大怨霊の一人とされています。
敗戦した平将門はさらし首になったが、その首は何ヶ月たっても腐らずに、まるで生きているかのように目を見開き眼力で周囲を睨みつけていました。首は夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び続けていたと言われています。
平将門 首塚の祟り
平将門の首塚を粗末にすると祟が起こると言われ続け、この祟りは20世紀になってからも、数々の不思議な事件を引き起こしています。
1923年(大正12年)

大蔵大臣はじめ幹部14人が相次いで亡くなりました。
関東大震災で被災した大手町は瓦礫の山となりました。そこで、国は首塚を取り壊し、土地を整理しようと大蔵省ができました。
それ以来、大蔵省の人間がに始まり幹部たちがが謎の病を患い、14人が亡くなりました。1940年(昭和15年)6月には 雷による火災が大蔵省を直撃

1945年(昭和20年)

作業中のブルドーザーが突然ひっくり返り、死人が出る
敗戦国であった日本には米軍が駐留していた。平将門の首塚をしらない米軍は、首塚周辺を駐車場にする計画をたてる。
すると、工事中にブルドーザーが突然横転し工員がなくなりました。
高度経済成長時代

高度経済成長時代に、首塚周辺が土地を金融機関に売却されれ、首塚の表道にはにほん長期信用銀行が建設されました。
その後、首塚に面した部屋にいた銀行員が続々と病気にかかるという異常事態に。
【おまけ】爆笑問題 太田光も首塚の祟に

爆笑問題の太田光は、この首塚にドロップキックをしたことがあり、その後芸能界を干されしばらくは仕事がなくなったらしい…。
平将門の首塚と関係があるのかはさだかではない。